原告でもあり、
たんぽぽ舎の山崎久隆さんより、
脱原発・東電株主運動ニュースより、転載いたします。
長文になりましたが、ぜひお読みください。
6月18日の口頭弁論期日後の記者会見
7月31日に公表(議決は7月17日)された第五検察審査会(検審)議決文書は、結論の妥当性に加え、驚くべき事実認定が行われていたことはあまり知られていないようだ。
人を刑事被告人にするのだから、推測や予断で罪を問うことはあってはならない。それは冤罪を生み出す構図に他ならない。そのため検審は物的証拠を積み上げて、少なくても勝俣、武藤、武黒の3名については罪を免れないと考え、起訴議決を行った。その論拠は、これまで知られていた以上に具体的で決定的な「犯罪事実」の認定であった。
私たち市民は、いかなる事実を隠ぺいされていても、強制的に調べる術など持っていない。だから検察には公正な捜査を期待するのだが、巨大企業や国策事業では、まともな捜査がされないことが往々にしてあったし、さらに特定の団体や
人物について、犯罪事実もないのに強制捜査を行う「国策捜査」も横行してきた。ビラ配りで住居侵入事件をでっち上げるなどは典型だろう。従って、検察の捜査が公明正大ではないことが普通だったし、原子力という国策事業で、検察庁がまともな捜査活動を行うことは期待できないと思う人も沢山いた。だからこそ、本当ならば事故直後に東電など関係機関に強制捜査に入るべき警察、検察が動かなかったことも「やはりそうか」と、心底腹立たしかった。
検審は市民が構成しているからといって、正しく調査し、正当な判断を下してくれるかは、未知数である。しかし刑事責任を追及すべく立ち上がった市民による「
福島原発告訴団」の働きかけや申し入れ(激励)行動は、大きな支えになったに違いない。
東京地方検察庁が「不起訴」とした東電取締役等の「業務上過失致死傷罪」に関する事実関係について、検審がいかなる「核心的事実」を見つけたから起訴に至ったか。検審議決書から読み解く。なお、検審議決文書は『』としているが、要旨を変えずに要約していることをお断りする。また、水位については「O.P.+7.7メートル」などは全て「7.7m」と表記している。
東電取締役の認識は1 『2006年9月19日、原子力安全委員会は耐震設計審査指針を改定した。
その中で津波対策は「地震随伴事象に対する考慮」として「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」を「十分に考慮したうえで設計されなければならない」とされた。保安院は各事業者に対し、新指針に照らした耐震安全性の評価を実施して報告を求める「耐震バックチェック」を指示した。「バックチェックルール」では、津波の評価につき、既往津波の発生状況のみならず最新の知見等を考慮して実施することとされていた。』
◎この点で重要なのは、既往最大など、起きたことのある津波だけを相手にしていては不十分であるとされたことだ。それまでの津波対策は既往最大の津波しか対象にしていない。現実に福島第一原発はチリ地震津波(1960年)に基づき3.122mを想定し、それに十分耐えられるとして、5.7mにしているから全く問題外なのである。
2 『東電は土木学会による2002年の津波評価技術に依拠し、推本の長期評価については土木学会の津波ハザード解析の研究を待つという対応であったが、新指針の策定に伴う耐震バックチェックに当たっては、推本の長期評価の取扱い
について改めて問題とせざるを得ない状況になった。東電土木調査グループでは長期評価に基づいて試算すれば想定津波の水位を大幅に上回ることが予想され、2007年7月に新潟県中越沖地震が発生した後は柏崎刈羽原発の運転停止が東電の収支を悪化させていたこと、推本の長期評価に基づく津波評価を行った結果で対策工事を実施すると、津波への安全性が疑問視され、最悪の場合は運転停止せざるを得ない事態になり、東電の収支をさらに悪化させることが危倶された。』
◎既に中越沖地震で大きな被災をした東電は福島第一、第二原発が動いていても2年連続赤字に転落した。同時に太平洋側の津波評価を長期評価を元に行えば、どちらも浸水を免れない結論に達する。2002年に発生した杜撰で違法な検査と報告違反事件に起因し、全原発が止まる事態を経験していた東電は、これには従うわけにはいかないと判断をしたのだろう。この時期は2006年にも発覚した第二の東電不祥事に揺れる中での津波対策と地震対策とのダブルパンチに見舞われていた。
東電不祥事の際、東電原子力センターと何度も議論を繰り返してきたが、鮮明に覚えているのは、彼らの姿勢である。
格納容器の下の圧力抑制室に様々な「ごみ」が散乱していたときも、配管の熱応力を逃がすための「焼鈍」処理の後の検査をごまかしていた時も、常に口にしたのは「安全上問題は生じない」ということだった。要は「些細な間違い」「手順ミス」「情報公開の遅れ」などであって「安全に関しては何ら違反行為はない」としていた。これが「安全神話」の実態だ。東電自らが「安全マインドコントロール」に置かれている。これが津波についても何ら根拠もなく「来るわけがない」と信じ込むことにつながった。要は「我々には、もっと大事なことがある」ということなのだろう。
3 『東電は耐震バックチェックを2009年6月に終了させる予定でいたが、2007年11月頃、土木調査グループにおいて耐震バックチェックの最終報告における津波評価に推本による長期評価の検討が開始され、東電設計との間でも試算の打合せがされた。そして関係者の間では、少なくとも2007年12月に耐震バックチェックへ長期評価を取り込む方針で進められることになった。』
◎長期評価を最終報告に取り込むことは、津波を考慮した対策を耐震バックチェックで実施することを意味する。浸水高15.7mを想定すれば、直ちに福島第一原発は対策なしでは運転不能になる。この程度の対策は原発を運営する事業者にとっては、最低限の義務であり、だからこそ社内外の検討チームは、それを前提とした。どんな企業にも「真面目に法令遵守しよう」と考える従業員はいる。それを曲げてしまう経営層(または上司)に対して、まともに上申してもらちがあかないとなれば「内部告発」になる。東芝粉飾決算事件や東電不祥事で明るみに出た事件の一部も内部告発だった。しかし、この津波対策については残念なことに、それはなかった。
4 『2007年11月19日、東電設計からは推本の長期評価で津波水位が7.7m以上となる試算結果が出された。2008年2月16日に実施された東電「地震対応打合せ」では、土木調査グループから被疑者3名らに報告されるとともに、それに関する資料が配付された。2月26日に、ある教授から「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮すべきである」旨の指摘を受け、3月18日に東電設計から長期評価で明治三陸沖地震津波の波源モデルを福島県沖梅溝沿いに設定した場合の最大水位が敷地南部で15.7mとなる旨の試算結果が出された。』
『2008年3月20日に実施された東電の地震対応打合せでは、耐震バックチェックの中間報告書の提出に伴うプレス発表に関して作成された想定問答集が報告され、津波評価を充実するよう指示され、同月29日に実施された東電の地震対応打合せでは、耐震バックチェックの最終報告において推本の長期評価を考慮する旨が記載された修正済みの想定問答集が報告され、了承された。』
◎最後のチャンスが、この時期かも知れない。2007年から8年にかけて、もはや推本の長期評価を無視し続けることが出来ないことは、外部専門家からも明示的に指摘された。このシミュレーションがいわゆる「お打ち合わせ資料」として後に公表された資料だ。これを見ていても対策を支持しない経営陣は、故意に事故を招き寄せたというべきものだ。
長期評価への方針を変更1 『2008年6月10日、土木調査グループの担当者は武藤栄に対し、津波が15.7mに達するとの試算結果を報告し、対策として敷地上に防潮堤を設置する場合には10mの敷地上に約10mの防潮堤を設置する必要があると説明した。武藤は、いくつかの検討を指示したが、7月31日には土木調査グループに対し、これまでの方針を変更し、耐震バックチェックは推本の長期評価は取り入れず、土木学会による2002年津波評価技術に基づいて実施するよう指示した。
推本の長期評価については土木学会に委託して検討することとした。この方針を、津波評価部会の委員や保安院にも理解を得ることなどが指示され、10月には、それらの了解をおおむね得ることができた。』
『8月22日、東電の土木調査グループは、東電設計から推本の長期評価を用い、房総沖地震の波源モデルを福島県沖海溝沿いに設定した場合の津波水位の試算結果が敷地南部で13.6mとなる旨の結果を受領した。』
◎2008年には既に10m盤に10mの防潮堤という具体案が示されていた。これが今回の最も重大な事実認定である。最高到達点が20mの防潮堤は、13ないし15m級の津波対策として考えられたものである。これは5.7mないし8mならば「10m盤を越えないから問題ない」となる。過去の姿勢と全く違う。つまり東電のこれまでの説明は全面否定されるのだ。
ところが方針は土壇場でひっくり返された。常識的には「武藤栄よりも上位者から待ったが掛かった」と考えるのが普通であろう。
この時点で防潮堤建設を決定していたら、原発は動かせなくなる。運転を止めることは、この国ではとてもハードルが高い。とにかく稼働率が低い、特に沸騰水型軽水炉は浜岡、志賀、女川、柏崎刈羽どれをとっても地震(対策を含む)や事故や不祥事で止まり続けていたため、何が何でも動かせ、といった圧力が国から掛かっていたことは容易に想像できる。言うまでもなく原発がほとんど止まっても電力不足にならないことを知られたくないのと、発電原価が安いという神話が崩壊することを恐れたからであって、安全よりも経済性や国策の維持のためにのみ原子力行政を進めてきた国の意向も、防潮堤建設への阻害要因になっていた。
現在の再稼働が危険きわまりないのは、この姿勢が全く変わっていないことも理由の一つである。もちろん、だからといって東電取締役の責任がいささかも減じるものではない。
2 『2008年10月、東電の土木調査グループは別の教授から貞観津波の数値シミュレーションに関する原稿を渡されたが、11月には貞観津波についても耐震バックチェックには取り入れず、土木学会の検討に委ねる方針となった。東電設計は貞観津波の波源モデルを用いた津波水位の試算結果が8.6m~9.2mとなるとの結果を受領した。』
◎これが、20mクラスの防潮堤でなくても敷地が冠水しないことを説明出来るデータとなっていたのだろう。「念のため行ったシミュレーション」においても、10mを超えないという結果だと保安院に報告することになる。もちろん、何の言い訳にもならないことである。逆に言えば、10mを数値目標として、それ以下になるようにシミュレーションを操作することくらい簡単にできてしまうことを証明したのではないか。この評価手法と同様な津波評価が日本中の原子力施設で横行しているのではないかと私は疑う。
3 『2009年6月の東電の株主総会本部長手持資料には、福島地区の津波評価として、巨大津波に関する知見として、推本の長期評価と貞観津波について記載され、これに伴う津波を考慮すると敷地レベルまで達し、非常用海水ポンプは水没する旨が記された。』
◎この年の株主総会では、「脱原発東電株主運動」が福島第一原発のうち、古い1~3号機の廃炉を議案提案している。提案では主に地震による被災に焦点を当てていた。また事前質問に対しても津波に関して、こういう回答はされていない。
この想定回答は、8.6m~9.2mの津波に対してであろう。15.7mもの高さの話ではないから、推本の説明に対する回答にはならない。すなわち虚偽答弁書を準備したことになる。
4 『原発の運転を停止して安全な津波対策を検討した場合、想定される津披水位を前提にしてかなり余裕のある対策を講じるととになるはずである。』
『2000年2月に明らかとなった電事連の調査結果では、想定の1.2倍の津波が発生すれば浸水してしまう。日本で最も津波に対する余裕が少ない原発であり、耐震バックチェックのヒアリングでも、津波評価で「設計上の想定津波水位」と「非常用海水ポンプ」との余裕が少ないとの問題提起されていた。2008年6月、被疑者武藤に対する報告では、推本の長期評価「最大値15.7m」を報告し、合わせて原子炉建屋等を津波から守るために10mの敷地上に約10mの防潮堤を設置する必要があることなどは説明されていた。』
『東電は推本の長期評価、それに基づく試算結果を踏まえ、既に約20m(10m盤+約10m)となるような防潮堤を設置する対策案は上がっていたのであり、これを行っていたら少なくても津波の浸水を回避することは十分に可能だったことがわかる。』
◎検審の結論部分である。これまでの説明を結論としてまとめたうえ、さらに踏み込んで「原発を止めておけば災害を回避できた」ことも指摘した。刑事事件として立件するに足りる根拠としては、十分と言えるだろう。
原発を止めていれば・・・ 前例として浜岡原発1号機と2号機がある。76年と78年にそれぞれ運転開始したが2009年1月30日には廃炉になっている。実際には1号機の水素爆発事故が2001年に起きており、その後動かすことなく廃炉になっている。2号機も2004年に止めている。いずれも福島第一1から5号機と同様のマークI型格納容器を持ち、炉心損傷に余裕のない原発だ。同時に大きな地震と津波に襲われた場合の安全余裕もほとんどないため、大規模改造が必要となるが、それに費やす費用が3,000億円と巨額になることも廃炉を決める要因になっている。
同様に福島第一でも、原子炉を止ておいて、冷静に検討を重ねていれば、今回の原発震災を免れた可能性は高かったが、3号機がプルサーマル原子炉であったことや40年超運転の認可(高経年化技術評価)を1号機が終わっており、次の2,3号機も準備していたことも運転強行の背景にある。
老朽炉も裏を返せば、多くの設備の減価償却が終わってコストを掛けずに発電できる施設だ。もちろん、負担すべき安全対策をカットしたら「さらに儲かる」設備になる。中部電力は、それを思いとどまった。おかげで5号機が大きく揺さぶられた駿河湾の地震では1、2号機は「止まっていた」。なお他号機が破壊される危険はあったから、褒められた話などではない。
東電は運転を強行したので3.11原発震災になった。多数の市民と事故対策要員を死傷させた原因は、東電取締役の浅はかな経営姿勢である。
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